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昭和から平成初期頃の自衛隊のトイレ事情

昭和から平成初期頃までは、女性の自衛隊員は差別的扱いがまだまだあった。
女性海上自衛官幹部の草分け的な存在である竹本三保海上自衛隊元一等海佐が、女子トイレ不足だった当時を振り返る。

元記事

DIAMOND online
「「女子トイレ不足」の自衛隊で、女性幹部の草分けが味わった“屈辱と転機”」
2022.05.24

https://diamond.jp/articles/-/303655?page=2

本文抜粋

自衛隊員は50代で定年することが定められている。
そのため、多くの自衛隊員は退官後、年金受給年齢まで再就職を試みるが、50代で新たな仕事に飛び込むのは難しい。
自衛隊員としてのスキルがそのまま発揮できる再就職先は少なく、体力は年齢とともに衰退する。
定年後の再就職では、これまで培った力をベースに、新たな職場ニーズを見いだすしかない。
女性海上自衛官幹部の草分け的な存在である竹本三保海上自衛隊元一等海佐がその人だ。

当時は珍しい女性の自衛隊員

竹本氏が1979年に一般幹部候補生として入隊した当時、同期は男子150人、女子はわずか3人だったという。
その後、2006年には一等海佐に昇任。
海上自衛隊一般女性幹部としては2人目であり、また、部隊指揮官を5回も務めた女性は竹本氏が初だった。

女性隊員への差別

その強靭な精神力は自衛隊生活で培われた。
海上自衛隊員でありながら、「女は艦艇に乗れない」「昇進しても二等海佐までだ」と言われ、「女は辞めろ!」と最低評価を3年間出し続けた上司もいた。
当時は男女差別的な発言や行動、待遇は当たり前のことだった。

一方、竹本氏には、たとえば、防衛庁が六本木にあった当時、旧軍施設のままだった市谷の中央通信隊群司令部には女子トイレすら満足になかったため、男子トイレを堂々と使うなど、何事にもひるまない度胸があった。

女子トイレが少なかったという話と言えば…

声優の中村繪里子と日笠陽子が、1つしかない女子トイレの個室を争う話。

昭和から平成初期頃までは、女性の自衛隊員は差別的扱いがまだまだあった。女性海上自衛官幹部の草分け的な存在である竹本三保海上自衛隊元一等海佐が、女子トイレ不足だった当時を振り返る。

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